県上位でアメリカの大学で通用する![アメリカ大学テニス留学生インタビューその1]

本日は、アメリカの大学にテニス留学し、全額奨学金を獲得し、チームのエースとしてチームを大学テニス部史上初のリージョナル大会(地方大会、全国大会のひとつ前の大会)に導いた経験をお持ちの松岡沙希さんに伺ったアメリカ大学テニス留学ライフについてのお話です。

松岡さんは、埼玉の公立高校出身。テニス部は強く、一生懸命テニスに励んでいました。県ではベスト4の成績を残したのですが、全国大会出場とはなりませんでした。それでものちにアメリカの大学で全額奨学金を受けてプレイしたということで、県ベスト4でアメリカの大学で全額奨学金得られるんだというのを聞いて、日本のレベルの高さを改めて感じるとともに、いま日本の高校の硬式テニスで頑張っている都道府県上位レベルを目指す選手たちに、こういう道もあるんだということを知ってもらいたく、このようなインタビューを依頼し、快諾していただけました。ではさっそくインタビューへ。

 

アスリートブランド聞き手(以下Q) Q:留学はいつから考えてましたか?

松岡沙希さん(以下 S) S:高3の夏の大会が終わった後に、進路のことを考えました。日本の大学でテニスをするというイメージがわかず、そもそも大学で何を勉強するのか何をするのか自体も見えてこない状態でした。そこで自分がやりたいことを考えているうちに英語を勉強したいと思うようになり、留学会社の説明会に行き、「これだ~!」と思い、そこから心は留学に向かって一直線でした。

ただ、留学してテニスをしようとはその時は考えてませんでした。

 

Q:アメリカに行って本格的にテニス部で試合に出たりしたのは2年目からと聞きましたが。

S:渡米1年目の秋学期はTOEFLがレギュラースチューデント(正規学部生)に求められる基準点に達していなかったので、留学生用の英語のクラスを一部とらなければなりませんでした。テニス部の練習は練習生のような形で参加し、部内では試合もしましたが、公式戦には出ることができず、コーチからもメンバー入りは2年目の秋からと言われました。

 

Q:奨学金を貰えるようになったのはいつから

S:渡米2年目の秋から正式にテニス部員となり、奨学金も全額支給されることになりました。ここでいう全額とは学費全額免除ということになります。教科書代も学校負担。寮費や食事は自己負担ですが、試合では遠征時はもちろんホームゲームでも食費が出ました。遠征費は学校負担。ナイキが大学運動部のスポンサーだったのでウエア、シューズはナイキ品が支給されました。ラケットは自分の好きなものを使ってよく、それも学校が負担してくれました。実はシューズも私はアシックスのほうが合うので、アシックスを着用し、その費用も学校負担でした。他の大学では契約ブランド以外は認められないことは十分あると思います。うちは結構緩かったです。笑

 

Q:チームメンバーは全員奨学金を貰えてましたか

S:テニス部員は少人数制で8-10人程度で、そのうち試合に出れるのは6人。試合に出るメンバーは全額でないにしても半額や一部など何かしら奨学金を貰っていたのではと思われますが、センシティブな内容なので、奨学金どのくらいもらっている、という話はチームメイト間では正直しなかったですので、実際のところはわかりませんでした。年によっては試合のメンバー外の選手の中には奨学金なしの選手もいたかもしれません。

 

Q:奨学金の額がテニスの成績によって減ることはありますか?

S:あると思います。私の場合は幸い、ずっと全額奨学金でしたが、選手の中には奨学金額が減って、転校してしまった人もいました。

 

Q:アメリカの大学のテニス部の活動で日本と異なる点はいくつかあると思いますが、どんなところでしょうか

S:練習時間が定められているので短いということはありましたが、練習内容的にはそんなに違いは感じませんでした。それよりテニス練習以外の練習がちょっと違いました。たとえば、秋学期はアメリカでは新学期にあたり、新メンバーが加わることになります。そこで、テニスは全くやらないアウトドアキャンプにいくなど、チームメンバー同士がお互いを知るようなアクティビティが結構行われました。

またチームボンディングという、チームの一体感を保ち、絆を高めていくようなミーティングや活動もありました。というのも、高校と大学の違いはあるものの、日本でやってたときはインターハイという一つの目標に向かってやってましたが、アメリカにはそういう明確なものはなく、さらに実はうちの大学は当時、部員のレベルがまちまちで、レベルの高い選手もいれば、レベルがけっこう低い選手がいたりしました。またテニスに対する熱もまちまちで、それほど優先順位を置いてない選手がチーム内にいるような状況でした。したがって、テニスに対するそれぞれの思いのレベルをあわせていくような活動やミーティングが結構ありました。

トレーニングでは、フィジカル面を強化する基礎トレーニングをがっつり行い、これも日本にいたときはほとんどやらなかったところです。

テニスのスキル面は、ここに任されていて、フォームの矯正や指導のようなものはありませんでした。

 

Q:コーチはどんな方でしたか?

S:それまで日本で指導を受けていた男性のだいぶ上の年齢のコーチとは違い、うちの大学のコーチは若い女性のコーチで、気さくいろいろ話せる友達のような存在でした。留学生ということもあったからかとても気を使ってもらったり、プライベートのことも相談したりという関係でした。年齢や性別ということもあるかと思いますが、日本にいた時の指導者との関係は大きく異なりました。

コーチはその女性のヘッドコーチ1人とほかに男性のヒッティングコーチがいました。

Q:プレイスタイル、メンタル面等々日本にいたときと変わったことはありますか?

S:最初の1年ぐらいは、アメリカの短い練習時間にやはり慣れず、高校時代にできていたプレイができなかったり、高校時代では負けないような相手に負けたりと、高校時代よりレベルダウンしている自分に納得がいかず悩んだ時期がありました。

ある時から、ルールにより日本と同じようにできないし、できないものを嘆いてもしょうがない、と割り切れるようになったり、開き直れるようになり、そうなってからは気が楽になり、今できる条件の中で頑張ろうと思うようになりました。

高校時代は試合中に結構イライラしたり、すぐにカッカしていた方なのですが、アメリカではそういったイライラが出なくなりました。割り切って、開き直れるようになったところは変わったかと思います。

 

その2に続く

アメリカ大学テニス留学

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