本日は、昨日に続き、日本の高校からアメリカにわたってテニス留学し全額奨学金まで獲得した松岡さんのお話です。
さっそくどうぞ!
Q:アメリカのテニスの試合や相手のプレイスタイルなどで戸惑ったりしたことはありましたか?
S:相手のプレイスタイルで戸惑ったというのはそんなになかったです。ただ日本に比べてハードヒッターが多いので、最初はちょっと押される感じがありましたが、それも慣れてきました。
自分のプレイスタイルは粘り強くつなぐタイプで、そういう選手はアメリカにあまりいないので、逆に強みになりました。アメリカ人はやりにくそうでした。
自分が戸惑ったことといえば、相手の応援でした。アメリカではテニスもホームアンドアウエー戦があります。敵地での試合の時は、男子生徒も応援に駆け付け、テニスコートのフェンスを音を立てて鳴らしたり、こちらが決めると大ブーイングなど露骨な応援をされ、アウェイの中でのプレイとなります。それは最初はやりにくかったです。ただ、次第に相手の応援がエキサイトすればするほどかえって冷静にプレイできるようになりました。
Q:ホームアンドアウエーの話が出ましたが、春の公式戦の仕組みについて具体的に教えてください
S:チームの所属するカンファレンスが8チームほどあり、春の公式戦は総当たりでホームアンドアウエーの団体戦のリーグ戦を行っていきます。そのリーグ戦で上位2校がリージョナルという地方大会に進みます。その地方大会は周辺地区のカンファレンスの上位2校が集まり、トーナメント戦で当たります。決勝に行った2校が全国大会に進みます。
Q:秋はNCAAの公式戦はないと思われますが、個人の大会等はあったのでしょうか
S:秋はトーナメントがあります。これは大学の所属としては出ますが、団体戦でなく個人戦となります。NCAAとは異なる主催で2年制大の選手も参加しています。
その他部の活動として、地元の子供たちへのテニスクリニックがあったり、アメフトの試合で部の資金集め活動などがありました。
Q:アメリカの大学時代テニスの最高成績は?
S:先述のカンファレンス間のリーグ戦で上位に入り、リージョナルに進出したことです。これはうちの大学テニス部の歴史上初めてのことだったそうです。リージョナルのトーナメントはフロリダで行われました。トーナメントは1回戦は勝ちましたが、2回戦は強豪校とあたり、相手のレベルは非常に高く、あえなく敗退しました。
Q:これまで挙げてない点でアメリカならではのテニス面での特徴などありますでしょうか。
S:車で8時間の遠征には驚きました。あとはアスリート専用のトレーナールームがあったことです。私は膝が悪かったので、トレーナーにもお世話になりました。トレーナールームにはしょっちゅう行き、テーピングやアイシングやトリートメントを受けてました。
Q:勉強の話ですが、英語を上達させるために、どんな勉強をしましたか?気を付けていたことはありますか?
S:やはりテニス部に入っていたことは英語上達につながりました。最初の1年の練習生時代は、部員たちとはまだ少し壁がありましたが、2年目から正式にメンバーになってからはほかの部員たちとの距離がぐっと縮まりました。それでも最初のほうは英語についていけなかったりしましたが、わからなくてもできるだけテニス部のアメリカ人選手たちと一緒に行動するよう心掛けていると彼らと仲良くなり、相手の言ってることもどんどんわかるようになり、自分でもいえるようになって、英語がどんどん上達していきました。最初のほうは日本人と一緒にいましたが、あるときからテニス部員と一緒にいるように、日本人とはつるまないようにしてから英語力は伸びました。
Q:テニス部のメンバーとの仲はどうでした?大学によってはチーム間のライバル争いうが激しいという話も聞きますが。
S:うちの場合は、そんなに激しいライバル争いというものはなく、幸い気の合うメンバーが集まっていたので、とても仲良くなりました。
大学が田舎にあり、遊びに行くところがたくさんあるようなところではなかったので、いつもテニス部のメンバーたちと一緒でした。たまにアスリート専用のパーティなんかもあったので、そこでアメフト部や野球部の選手たちと仲良くなったり、アメフトの試合をテニス部の子たちと一緒に応援しに行ったりといつも一緒でした。
Q:大学では何を専攻しましたか?
S:ビジネスを専攻してました。
Q:アメリカの大学の授業ではグループワークがあり、高校までそのような形式の授業がない日本人は苦手な人もいますがどうでしたか?
S:私の場合は机の上の勉強は苦手だったのですが、グループワークやプレゼンは得意で好きでした。だから全然たいへんと感じませんでした。
Q:就職活動はどのようなものでしたか?
S:就活は3年の11月にボスキャリ(ボストンキャリアフォーラム:留学生向けの就職イベントとして有名)に行き、そこで4,5社と面接をし、大手の製薬会社さんから内定をもらいました。
特に当時は、3月、4月に面接、翌年の4月入社がスタンダードでしたが、私はテニスの公式戦がその時期にあり、もしそこで決めなかったら、シーズン終わって帰国するころには企業の採用活動は大体終わっているという状況でした。(今は10月入社もあるので、卒業時期や面接のタイミングなども若干融通がきくようになっているはずです)。
Q:面接はどんな内容でしたか?
S:やはりテニス留学のことが中心でした。面接官も興味があるようでどこもテニス部の活動について色々聞かれました。自分も大学のテニス部でやってきたことをアピールしました。
Q:最後にテニス留学を考えているテニス選手にひとこと
S:最初は大学ではテニスをやらないつもりでしたが、アメリカに行ってテニスをやったおかげで、英語もうまくなり、奨学金ももらえ、いろいろな経験ができました。
日本の部活で頑張っている選手は十分通用すると思います。
ぜひチャレンジしてみてください!
<終>
松岡沙希さん:NCAA傘下アーカンソーの大学でテニス留学。全額奨学金を獲得し、チームのエースとしてチームを大学テニス部史上初のリージョナル大会(地方大会、全国大会のひとつ前の大会)に導く。埼玉県の公立高校伊奈総合学園高校テニス部時代は県大会ベスト4や関東大会出場、中学時代は全中出場経験あり。大学卒業後、大手製薬会社に就職、その後ヘルスケア関連の外資へ転職。本社との連絡・交渉役等、グローバル経験を活かした業務に就いている。
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インタビュー後記
もともと日本にいた時から、活発な方だったとのことで、アメリカにもすぐ慣れて、あまりホームシックにもならなかったと、アメリカが合っていたようで、留学における大きな苦労話的なものはあんまり聞かれませんでした。日米の違いを聞いても、「あんまり感じなかったです」と明るく答えられちゃいました。
アメリカスポーツ留学で成功している選手はほぼ全員プラス思考ですが、松岡さんもやっぱりプラス思考ですね。
そうとはいっても、もちろん、細かくたどれば、いろいろと何かしらあるはずです。が、留学での楽しかったこと、充実したことが、大変だったことを大きく上回って、いろいろあった苦労はちっぽけなものに分解してしまって、思い出せないくらいになってるのかもしれませんね。
前回の投稿(県上位でアメリカの大学で通用する![アメリカ大学テニス留学生インタビューその1] で
「高校時代は試合中に結構イライラしたり、すぐにカッカしていた方なのですが、アメリカではそういったイライラが出なくなりました。割り切って、開き直れるようになったところは変わったかと思います」
という発言もありましたが、
アメリカに行くと変わる自分に出会えるというところも留学の特徴かと思います。
だからいま、「自分はプラス思考でない」と思い込んでる人も、
アメリカで「プラス思考な自分」みたいに、今まで出会ってない出会えるチャンスかもしれませんね。
「私も松岡さんのようにアメリカの大学という今まで異なる環境でテニスを続けながら、英語を身に着け、グローバルな就職したい」という高校テニス部選手!ご相談ください! 高3生もまだ間に合います!松岡さんも指導したのも、これよりちょっと早いぐらいですのでまだ大丈夫です!
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